園芸主要品目

八色西瓜

■ 『八色西瓜』のあゆみ

『八色西瓜』のあゆみ

“八色”とは、「春から秋にかけて八色(やいろ)の草花<こぶし・桜・つつじ・藤・チューリップ・椿・ひまわり・コスモス>が咲き乱れる原=八色原(やいろはら)」という意味で、そこから収穫される西瓜を『八色西瓜』と命名されました。


この『八色西瓜』の歴史は古く、大正末期から昭和初期に大和町(現南魚沼市)の三用地区を中心に栽培が始まりました。当時の種苗は、自家採種で品質改良は行わず(現在は、一代交配の購入種子を使用)、作付面積も一戸当り1~10アール程度でした。収穫された西瓜は小規模ながらも『八色西瓜』の名で販売され、出荷組合設立後は作付面積の拡大を図り、魚沼・長岡・新潟方面に出荷地域を拡大しました。


第二次世界大戦中は穀物不足により一時西瓜栽培を中止していましたが、昭和23年に栽培が再開されました。複数の生産組合が発足しましたが、昭和56年の西瓜選果機の導入を契機に、『八色西瓜生産組合』が発足し、西瓜生産者=八色西瓜生産組合=JA魚沼みなみが一体となり、高品質な西瓜生産に取り組んでいます。


当地域では「夏といえば八色西瓜。八色西瓜といえば夏が来る」といわれ、夏の風物としてなくてはならないものとなっています。

■ 八色西瓜生産組合

組合長 上村 育弘
構成員 108名
八色西瓜生産部会

当組合では、“味にこだわった西瓜の生産”をめざし、1つの株から収穫される玉数を適正な数(概ね3~4果)まで制限し、収量よりも品質を重視しています。


西瓜生産は天候の支配を受けやすく、生産者にとっては安定生産が大変難しい作物の代表と言われています。しかし、現在私たちは、天候に左右されず、高品質な『八色西瓜』を生産できるよう日夜努力をしています。


当地は、土壌が西瓜生産に適している黒色火山灰土、また八海山をはじめとする越後三山を眼前に、周囲を山々に囲まれた盆地地帯で、昼夜の温度格差が激しいという地理的条件に恵まれています。そのため、糖度が高く、シャリ感のある西瓜が生産できるのです。また西瓜は外観による内部品質(おいしい西瓜)の判断が難しく、「あたり・はずれがある」と言われますが、「八色西瓜にははずれがない」と、市場から高い評価を受けています。


出荷時の検査でも、独自の検査基準を設けています。従来は経験豊富な生産者が検査員として集荷場に集まり、西瓜を一つ一つ手でたたきながら、その音や響き具合、手の感触で品質を判断し格付けを行ってきました。


平成15年に最新鋭の自動選果機を導入し、全てセンサーによる検査となりました。現在、外観・空洞・熟度・うるみ・糖度をセンサーが測定し、格付けを実施しています。従前からの経験を踏まえ、この検査基準も私たち生産部会で独自に設けた基準値で実施しています。


私たち八色西瓜生産組合では、生産者とJAが一体となり、「安全・安心」でおいしい八色西瓜の生産に取り組み、消費者の皆さまにお届けしています。

■ 八色西瓜生産組合の歩み

昭和56年 旧新潟大和町農協が農産物流通センターを建設。西瓜選果機を導入。
旧大和町内に4組織あった西瓜出荷組合が合併し「八色西瓜生産組合」を設立。共選体制が始まる。
昭和60年頃 開閉(つる引き)栽培導入
昭和63年 選果機増設。荷受コンベアの増設。選果機の配置変更。
平成10年 開閉栽培品種に『貴ひかり』を導入。
平成12年 JA魚沼みなみの誕生(JA新潟大和町・JA六日町)に伴ない、六日町園芸組合西瓜部会と合併し、作付面積80ヘクタール規模となる。
平成13年 西瓜自動選果機導入に向け着手。
小玉すいか(八色っ娘)試験販売開始
平成14年 農業生産総合対策事業(国)・園芸産地育成強化事業(県)を受け、新しい西瓜自動選果機の建設開始。
小玉すいか品種を『ひとりじめ』に統一。
降雹被害による出荷量激減。
平成15年 小出町すいか生産組合と合併。
新西瓜自動選果機稼動開始。
園芸トレーサビリティーシステムモデル産地として栽培履歴をホームページで開示。
開閉栽培品種を『貴ひかり』から『祭ばやし777』に変更。
小玉すいか品種を『ひとりじめ7』に変更。
平成16年 後継者育成を目的とした、若手研究部会の立ち上げ。
平成17年 つる引き栽培方法 「祭りばやし777」に統一。
平成18年 小玉西瓜名称「八色っ娘」商標登録
平成19年 八色西瓜生産組合(132名)エコファーマー取得
平成25年 強い農業作り交付金事業により西瓜選果場の若返り工事を実施

■ 生産基準

■ 栽培日誌

代表者2名の西瓜栽培日誌及び生産協定書を開示いたします。

■ 使用農薬成分表

八色しいたけ

■ 「八色しいたけ」のあゆみ

「八色しいたけ」のあゆみ

当地域は魚沼産コシヒカリや八色スイカに代表される農業地帯です。しかしながら全国有数の豪雪地帯であるために、冬期間の農業の仕事がなく各地に出稼ぎに行くのが一般的でした。

 

その状況を打破し、通年で農業を営みたいという思いから、昭和60年に9名の生産者が「八色しいたけ生産組合」を設立し、原木しいたけの栽培に取り組み始めたことが産地の始まりでした。

 

その後、次第に原木の入手が困難になったこともあり、平成4年頃から現在の菌床しいたけの試験栽培に着手。平成6年にはしいたけハウスを建設し、菌床栽培を本格的に開始しました。しかし、当時は菌床栽培の先例やノウハウも少なく、なかなか理想とするしいたけを栽培することができず試行錯誤を繰り返す毎日でした。

 

しかしながら、平成10年には現在の「上面栽培」と出会い、更にしいたけハウス建設による販売の強化、平成14年には菌床センター(培地製造施設)、パックセンター(選別と出荷施設)を建設し、本格的な産地としての一歩を踏み出しました。

 

現在では、栽培農家も17名に増え、大きくて肉厚のしいたけを安定的に生産する産地として高く評価されるまでになりました。

 

また、平成23年には生産組織である「八色しいたけ生産組合」の法人化を行い、「八色しいたけ事業協同組合」を設立して、年間1,200トンの出荷となりました。平成25年には培養センター(菌床一次培養施設)の稼働、第2パックセンターの増設を行い、将来的には年間1,800トンの出荷産地を目指していきます。

 

今後も高品質の「八色しいたけ」を消費者の皆様にお届けできるよう生産者が一体となって努力していきたいと考えております。

このページの先頭へ